血気盛んな小僧の頃はHard RockやHeavy metalしか聴かなかった。こと音楽に関してはそれ以外のジャンルは甘ったるくて女々しいものだという先入観と偏見に支配されていたのかもしれない。

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Hard RockからJAZZへ

そんなやつでも人生の経験を重ね歳をとると共に渋味を増してくると(どこがや?)JAZZが心地よく感じだしたりするから不思議なもんです。JAZZは大人のおっさんの音楽...というか単に身体がロックについて行かなくなっただけかも。

音楽にレベルは無いしポップスが下でクラシックが上とかは無いはずだ。要は聴く人の心を打つのが最も重要であるはずです。

 

Hard Rock

けれど演奏技術や理論のレベルは確実に存在するのです。ロックがどんなに大音量で激しいリズムを叩き出そうとしても、今までにないリフを次々と生み出そうとしても最終的にはそこにある様式美の枠から抜け出すことはできない。

やがて過渡期を迎えたHard Rockは枠から抜け出そうと複雑なスケールやテンションを取り入れ始める。そこからクロスオーバーとかフュージンという新しいジャンルが生まれるのですが。

音楽でも何でも新しい物を取り入れてより先に進もうとするのは自然の流れではあるのだが、しかしロックはその段階で衰退していったのでは?と僕は考えている。

Hard Rockの持つ本来の良さが損なわれ、複雑化した構成は演奏者や一部のマニアには受け入れられても万人の心を打つものではなくなってしまったのかもしれない。ロックはそのままにリフの組み合わせを維持しつつメロディ重視の中で戦うべきだったのではないか?

どこまでも様式美の中でこそHard Rockは美しいのである。

どうや!この偏見に満ちた考え方は。異論のあるやつはいつでもかかってこいよ!...いっさい無視しますので(笑)

 

JAZZ

 

Hard Rockの魅力は様式美であるのに対してJAZZのそれは拡散美だと僕は思うのです。

JAZZにはテンションを加えた多様なスケールが存在する。

テンションとは通常のコードトーンに更に別の音を付け加えるのだけど、そうすることで全体の響きが不協になったりするわけです。その一瞬の不安定さが枠を超えたJAZZの魅力だと僕が最初にこのジャンルを聴いた時に感じたものです。

形式からはみ出す拡散美がJAZZにはあるしそれが魅力なんでしょうか。

それからもう一つ、JAZZの持つ “JAZZらしさ” とはやはり裏拍というリズム感から生み出されるグルーヴでしょう。いわゆるリズムがやや遅れて入っくるやつです。

このやや遅れてというのがみそであって、2拍目・4拍目にビートするレゲエもそうなんですが、それとはまた違う。

このままではリズムが跳ねてしまうわけで、レゲエなら跳ねて雰囲気出てる感じでもJAZZの場合は跳ねたらいけません。何と言うかこう沈み込むような感じ?

そんな雰囲気を醸し出しグルーヴ間を出すためにシンコペーションとかアンティシベーション(舌かむわ)なんかを使うのです。

おっとこんな理論の話をしたいんじゃない。このまま行ったら泥沼に入り込んでしまいそう。

とにかくテンションと裏拍という2大要素が衝撃的であって、それまでRock命だった若造がそれを耳にした時の意味わからんという妙な感動を覚えたのです。音使いとリズムの一種独特の不協があってそこにアドリブが加わったりしたら、もうどうにでもしてくれーとなってしまうのです。

心地良い枠からはみ出るとそこにはもっと別の心地良さがある。それがJAZZの持つ拡散美だと思っている。

 

アルバムへの思い入れ

最近はアナログ盤が人気の様で中古レコード店で若者や我々おっさんなんかの姿を見かける。

JAZZといえばレコード盤と言うイメージだが、昔はそれこそ手に入る音源は他に無かった時代で当時金の無い学生だった頃は食パンとインスタントラーメンという粗末な食事をしながらも何故か2800円もするLPレコードを買うという意味不明の行動をしていたのですね。

その時の価値観が音楽にこそあったわけですが、それでもアルバイトして貯めたお金で月に1枚のレコードを買うのが精いっぱいだった。

だから貴重なレコードは買う前にとにかく悩む。聴きたいアーテイストは山ほどあるがその中で大金はたいて購入するには優先順位を決める必要があったのです。

レコード店へ何度も通って目当てのアルバムを探し出し、ジャケットのデザインを眺めてにんまりと笑う。手に取って売り場カウンターまで持っていきそれで買うのかというとそうではなく、店のお兄さんにアルバムの評価を聞いたりする。

そこで音楽の好みが合ったり話がはずんだりして、一緒に今から新宿のBarに飲みに行こうなんてことになる。JAZZが流れる歌舞伎町のBarではベトナム帰りだという店主がバーテンダーだったりしてロバード・キャパがどうのこうのなんて話に感動したり、やっぱパープルよりツェッペリンでしょうなど議論を交わす。

話が盛り上がってきたら今度は3人で別の飲み屋に繰り出して朝まで飲み続け、そこでもベックの今度のアルバムはとか日本語のロックはだめでしょみたいな会話が飛び交う。朝に目が覚めたら横に飲み屋のお姉さんのすっぴんがあるのにびっくりして飛び起きる(笑)

たった1枚のレコードだけど、そこに人との関りがいっぱい乗っかってるのですね。エリッククラプトンやユージンスミスの写真やらBarのマスターやら安っぽい香水の匂いやら、それこそ薄っぺらい青春の情景が詰まった、僕にとっては貴重な1枚になるわけです。

そんな思い入れがあるアルバムだから手に入れたらとにかく聴く、もうずっと聴きまくるのです。そらもう百回も聴き続けたら音の細部まで頭に入って来るのです。微妙なヴォーカルの息遣いや意表なハイハットのアクセントからCメジャー7thにDの音が加わったギターまで聞こえてくる(笑)

今ではネットを通して簡単に音源が手に入る時代です。それこそYouTubeで探せば聴きたい音楽は何でも出てくる。けれどそんな便利な環境では逆に簡単に手に入る音楽であり過ぎるが故に1曲への1枚のアルバムへの思い入れが入りにくいのかもしれません。

思い入れが無いから聞き流してしまう。その場だけが快適だっらそれで良しでまた次の音楽へと気軽にいってしまうとしたら何とも勿体ない話です。

録音段階で折り込まれた情報の細部まで知る事も無く、ただその場の心地良さだけで音楽を通り過ごしているのだとしたら...それって何だか人生の楽しみをひつと知らないまま過ごしているように思うのは僕だけでしょうか。

JAZZは細部まで聴き分けられた段階でプレィヤーと一体になれるのです。あたかもナンシー・ウィルソンが歌うバックでジョーサンプルのピアノを横目に自分がゲストプレイヤーになってギターを弾いているかもしれない。

それがJAZZのWay It Goes(笑)