玉妃(たまき)でございます。
お久しぶりです。
近頃ですね、完全に長時間労働をしておりました。疲れます、、身体が。
いやでも心は元気ですよ。何せ美しくて大好きなアイテムに囲まれて暮らしておりますから(笑)
ちょっとバリ風な感じの雰囲気なんですけどね、まあいわゆる自己満足!の世界に浸っておりますわ。
「美しさ」は美学のひとつで、美学は哲学のひとつ
ちょっと小難しいようなことを書いておりますが、「美しさ」って哲学なんですよね。
哲学なんてものがわかっているのか?でもこうやって文字になると「はあ~美しいな~~」と思うわけで。
さて、そもそも「美しさ」って何?
《美しい暮らしに囲まれて満喫した人生を歩く》ってどうやって?
ちょっと思いませんか?
目次
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「美しさ」って何?
「姿・形・色・音などが、整っていて鮮やかで快く感じられるようなさま」
「人の心や態度の好ましく理想的であるさま」
きれいだ。
あでやかだ。
うるわしい。
きちんとして感じがよい。
清らかでまじりけがない。
好ましい。
りっぱである。
見事だ。
国語辞典を読んでいるとこんなことがずらーっと書いてあります。
つまり、【外的な美しさ】と【内的な美しさ】があるようなんですね。
あと、食べ物にも「美しさ」は使われます。【美味しい】【美食】と書くように。
「美しさ」から何を感じる?
人は「美しさ」からこんなことを感じているようなんです。
快さ
清らか
整い
機能的
秩序
品格
生命力
懸命
満喫
超然
いろいろありますね。
私の主観ですが、そうですね、わかりにくそうなものをいくつか例えてみたいと思います。
まず、「機能的」な美しさって例えば扇子。
扇子は、使わない時は折りたたむことができ、使う時には「扇形」に開く。コンパクトにバッグなどに収納できるので便利ですね、機能的ですよね。
そして、「扇形」は幾何学の用語にもなっていて、また「末広がり」の形状から縁起の良いものとされているため引き出物にも使われるらしい。(Wikipediaより)
何が美しいかと言うと、扇子の形が機能的でかつ用途が美しいと普遍的に言われているのです。
「生命力」って何を思い浮かべます?
春になると新緑が芽を出しているのをあちらこちらで見かけると思います。
例えばなんですが、雨上がりに太陽の光が新緑に降りかかっているのを見るとキラキラとした感じに見えますよね。
そのキラキラと光る新緑の生命力に対して美しい、と人は感じるようなんです。
「超然」=「美しさ」?
さて皆様は何を想像しました?
私は、宇宙なんです。宇宙に広がる無数の星。超然的でなんて美しいんだろう、と想像するだけでワクワクうっとりするんですよね。
このように、人はさまざまな状態や性質からあらゆる美しさを感じているんです。
なんだか素敵!
「美しさ」ってどこにあるの?
人は「美しさ」を 目・耳・心 で感じているのですが、「美しさ」をまさに受信しているんですね。ん~~、美しさの受信機 と想像してみてください。
となると、「美しさ」は何かを送信しているはずなんです。何でしょう?「美しさ」自体は目に見えないので、波動のようなものを思い浮かべてもらったらわかりやすいかもしれません。
桜は美しいという話
このように「美しさ」は、あくまで人が感じるものなんだなあとつくづく実感したわけなんですが。
なんだか、、、その受信機の性能というか感度が重要なのかもしれない—
目の前に桜が咲いている状態だけを想像してみて下さい。
咲いている状態だけでしたら、桜は単に咲いているだけですよね。
そのため、桜が咲いていてもそこに人がいて「美しい」と感じなければ単に桜が咲いているだけでして。
つまり、美しさはどこにあるかといえば「美しい」と感じた人の心のなかにあるといえるのでは、と思うんです。
そして「美しさ」の感じ方は人それぞれだと思うんですが、その感度がやはり重要である———私は思うんです。
3つのステップとは?
「美しさ」って人の心の中にあり、その感度がどうやら重要。
感度って上げられるものなの?上がったらどうなるの?
「美しさ」には【外的な美しさ】と【内的な美しさ】があると冒頭でお話しましたが、人の身体や心の成長とともに【外的な美しさ】⇒【内的な美しさ】へと求める「美しさ」が成長していきます。
まずは、【外的な美しさ】。
人はファッションなどで自分を表現しますが、芸能人の〇〇さんと同じような服やバッグが欲しい!そんな風な自分になりたい!という欲求があるものです。その欲求はとても自然なことで外的な美しさを所有したいというステップ1があるのです。
次に、【内的な美しさ】。
【外的な美しさ】をある程度所有すると、目に見えない【内的な美しさ】に気づくようになります。
桜は美しいという話で触れましたが、単に桜が咲いている状態を人が美しいと感じることで桜は美しいと言えるのですが、「咲き誇る桜が散っていく姿が美しい」「春になると必ず花を咲かせる桜の生命力が美しい」といった情緒的な美しさをじっくり感じるようになってくるんですね。
つまり、「美しさ」の出どころって心なんだなあと実感するんです。
自分の心が「美しさ」で充満すると、自分の暮らしや人生も丁寧に生きようっていう大切さが生まれるんです。これがステップ2です。
さらに、【内的な美しさ】をじっくり感じることで、ステップ3である心の奥深い部分にある情熱などが掻き立てられ、大切な暮らしや人生で生きる自分を何か役立てたい、と思うようになってくるんです。
まとめますと・・・
ステップ1:表層的な美しさを所有する
ステップ2:充満する美しい心を味わう
(美しさはどこにあるのか?物事の本質であると確信する。そして、自分自身の本質つまり中身を大事にしようと思い人生を充実させようとする。)
ステップ3:充満する美しい心で歩む
(内にもつ心の充実さと調和して外的なものと融合させた美を求める。そしてその美 のエネルギーによって人間のパワーが引き出される)
3つのステップ—その先には—
このように、ひとつひとつを丁寧にステップアップことで
ステップ1:表層的な美しさを所有する ことを思いっきり『楽しむ』 !
ステップ2:充満する美しい心を味わう ことで『美の波動の感度を上げる』 !
ステップ3:充満する美しい心で歩む そうしたら『パワーが引き出される』!
最終的には・・・
テーマである 《美しい暮らしに囲まれて満喫した人生を歩く》 ことできる!!!
これが私の「美しさ」に対する考え方の軸になっております。
つまり私の「美しさの哲学」 ”美・ゼロポイント” ですね。
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