2008年だから今から13年前になります。
始めてバリ島へ旅行に行ったときに泊まったフォーシーズンに感動してしまって、「よし、バリ島に住むぞ!!」と思ってしまったのです。
すっかりバリ島の雰囲気に魅了されてしまった。
とにかく思いついたらもうどうにも止められない変態性格は、これまでも散々泣かされてきました(誰にって? 自分にです)
“好奇心集団sujaku”へお越しいただきありがとうございます。ossans倶楽部のオレンジです。
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バリ島移住
早速ネットでバリ在住の日本人ブローカーを探して、翌月の8月には土地を買うために再度渡航したわけです。
その時に見たのがウルワツの崖っぷちの土地。凄いね!高所恐怖症の僕には耐えられない(笑)
景色は凄いけどこの土地はパスしました。
次にウブド近くの小高い丘の土地も見て「よし、この土地を買って家を建てよう」と決めました。
早い!ほとんど細かい事は考えてない。
早速ブローカーと契約交わして、これまた日本人の設計士に建築依頼をしたのです。
写真は当時のiphonで撮ったものだから綺麗じゃない(汗)
それから設計士といろいろやり取りがあって翌年春に着工
そして2009年の年末に家が完成して僕はバリ島に移り住みました。
この移住の目的はプールサイドでカクテル飲みながらカウチトレードをするという何ともふざけたものでした(笑)
プロに依頼して撮ってもらった写真ですが、やっぱり違う。
さてそれから約2年ほどはバリ中心に生活をして、その後は日本とバリを行ったり来たりのノマド生活に変わっていきました。
バリ生活での面白いエピソードは山ほどあるのですが、それらは追々記事にしたいと思います。
海外移住生活に興味のある方はこちらの記事もご覧ください
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バリ島のネット事情
FXや日経225先物のトレードを職業としている僕にとってネット環境は無くてはならないものです。
それで何はともあれネットを引くわけですがこれがいきなり大変。
移住したころのバリでは電話回線によるADSLが最速で、それでも日本の光ネットから比べたら、とても早いとは言えないものでした。
しかも僕の家はバリでも田舎の森の中なんてところだったので電話回線も通っていない。
散々いろんなネット会社を調べて辿り着いたのが基地局から無線で飛ばしてくるというタイプのものを契約しました。
これが何しろ凄い、屋根の上に10メートルものアンテナを立てるわけです。
そして維持費が毎月4ジュタですから約4万円。
そんなでも速度はまあ何とか使えない事はないかなぁ程度でとにかく回線がよく途切れるという不安定さにはいつも泣かされてました。
移住生活でまず最初の難関がネット事情でした。
現在はウブド、クタ、スミニャック、ヌサドゥア、サヌール、デンパサールなど都市部でほぼ100%光回線が普及しているそうです。
またバリ島では携帯電話網は3Gもしくは4G(LET)が網羅されてるので僕の様にそこまでネット環境を必要としない方ならこちらが手軽です。
町のショップでsimカードを買ってスマホに差し込めば直ぐにネットが使えます(ショップの店員さんにセットもやってもらえます)
パソコンへはスマホからデザリングすれば良いですし。
バリ人を雇用する
バリ島の人はバンジャールという村集団に必ず属して生活しています。
このコミュニティでは常に何かしらの祭りが行われてバリの人達はほとんど祭りの為に生きているのか?と僕は感じでいます。
さて我々外国人がバリ島に長地滞在するにはビザが必要です。
ビザ取得の条件としてバリ人を雇用しなければいけません。雇用義務とは言え当然家のメンテナンスやらが必要なので人を雇うのは必然になってくるのですが。
- 庭師兼何でもやってくれる人
家には庭があるので毎日手入れをする人が必要です。日本なら庭の手入れも定期的に自分でやるとかで良いかもですが、何しろバリは南国です。草も木も毎日驚くほど伸びていくしほっといたら庭はジャングルになってしまいます。
- 家の掃除・食事を作ってくれるハウスメイドさん
家もほっといたら汚れます。虫が入って来るしチチャという小さなヤモリは常に壁や天井をはい回ってます(笑)。そしてメイドさんが買い出しや食事を作ってくれると助かります。
- セキュリティの人
夜は泊まり込みのガードマンが必要です。バリ島は他の東南アジアと比べたらかなり安全と言われます。それはバリ独自のヒンドゥ教によりもの、それからバンジャールでもし犯罪者が出たらそれはコミュニティの恥とされかなりキツイ罰を自治体が与えるそうで、バリ人には悪い人は居ないと言われます。ただ隣のジャワ島などから働きに来ている人たちはイスラム教徒なのでかなり考え方が違います。家のお金や物を無断で持って帰ったりは良くありました。
イスラムの人全てが悪いというのでは決して無いのですが、僕の場合に限ってはという事です。
という感じで雇用は必要ですし本当に助かります。
給料は例えばセキュリティ一人、ハウスメイド二人、庭師を1人やとったとして日本人ひとりの給料ほどで賄えます。
家を建てる時にはかならず彼らの部屋(宿泊できるスタッフルーム)を併設する必要があります。
雇用の問題については知らない外国で実際生活するのに色々教えてもらったり助けられるので難関というものではないと思います。
少し前は外人移住者も増えて雇われるバリ人側の売り手市場だったのですがコロナの影響で今は逆に人手が余っているようです。
生活環境
これは人それぞれ考え方の違いがあるようです。
基本的な生活は僕らは日本人なのですから変えなくても良いというのが僕の考え方です。
ただ周りの環境は日本とは全く違うというのを覚悟と言うか頭に入れておくべきでしょう。
- バリの人は例え雇用されていてもバンジャールでの行事が優先だから突然の休みが多い
- モノを頼んでもナンティ(後で)が当たり前
- 時間がゆっくり(家具などオーダーしても届くのが何カ月もかかる)
- 日本には当たり前にあるものがバリには無い
- とにかくいろんな物が直ぐに壊れる
- ポリスに正当論は通じない、通じるのはお金(笑)
家やその他のメンテナンス
バリではとにかくいろんなモノが壊れるのでメンテナンスにお金が掛かります。
- プールのポンプは良く壊れるので維持費が大変
- お風呂などの生活用水は井戸水をくみ上げるのでポンプがいつも壊れる
- 湿度が高いこの島では壁にカビが発生し朽ちてくる。またシロアリ対策も大切
- 電化製品は常に直ぐに壊れる。保証期間は大体1週間ほど。そこら中に修理できるというヤツは居るが頼んでも直ったためしがない(笑)から買い替えた方が早い
- 車とバイクは流石に日本製なのでしっかりしている
- メイドさん達は直ぐに給料を上げろと言ってくるが、基本が安いからといってホイホイと上げてはいけない(他の外人移住者の相場を壊すことになる)
気候が違う
赤道に近いバリ島では日本の様な四季はありません。
まずングラ・ライ空港に降り立った時に一番に感じるのはバケツから水をかぶったような湿気です。
特に11月から3月頃の雨季では湿度はかなり高いと思います。
ただ雨季にはバリに花が咲き市場にはトロピカル・フルーツが並びます。
観光客の少ない雨季の時期はバリのゆっくり流れる時間を味わえます。
4月から10月頃までは乾季に入り8月頃は気温も25℃ほどのまで下がり涼しいバリを体感できます。
とにかく日本とは違う
さて日本と違う国で住むというのはやっぱりそれなりにいろんな問題が出てきます。
それらを受け止めて丸ごと馴染んでしまう人は海外移住に向いてるんだと思います。
日本にあるものではなくてバリでしか体験できないものを楽しむ。
時間にスケジュールされた日々ではなくゆったりと流れるバリにしかない空気間に癒されて暮らす。
夜に飲みたくなったらクタやウブドには南国のBarが沢山あります。
日本の都会では見られなくなった、それこそ振ってくるような満天の星空を眺めて天の川に驚き、初めて見る南十字星を探すのもバリの楽しみです。
あとがき
あれから13年。今はもうバリを引き上げました。
最大の理由は僕にとっては究極に退屈な生活に耐えられなかったというところでしょうか。
ダメですね僕のようなあくせくした人間は。
けれど移住した体験は僕の中で貴重な記憶となっています。
バリの人の生活習慣、考え方の違い。気候の違い。
旅行で行くのと実際に住むのとでは大きなギャプがある事を体験しました。
今回は先ずは移住希望の誰もが最初に必ずぶち当たる現実のバリを記事にしましたのですが、実はバリ生活では沢山の面白話があるのです。
インドネシア語が全く分からないヤツが向うで運転免許を取った話、バイクに乗ってポリスに止められた時のひと問答、イミグレを通過する時のエピソードなどバリ島での話題はキリがありません。
またの機会にそれらの面白記事も書きたいと思います。
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